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メジロマックイーン物語『栄光と挫折は紙一重』

第一章「オーロラの62」

 1987年4月3日。
 北海道の浦河町にある吉田堅牧場で栗毛の牡馬が産まれた。金色に輝く身体を小刻みに震わせながら、元気に母親の周りをウロウロとするその仔の名は、オーロラの62。
 日本を代表するオーナーブリーダー、メジロ牧場の仲間として彼は生を受けた。

 オーナーブリーダーとは馬をセリなどで販売することはせず、自分達が生産した馬の賞金だけで生計を立てていく牧場のことである。故障や病気など不測のアクシデントが多い競馬の世界において、このようなスタイルで牧場を経営している所は多くはない。オイルダラーや伯爵など大富豪の存在がない日本では生産馬の一部、ないしは全部を売って生計を立てていくマーケットブリーダーと呼ばれる経営手法が近年では一般的である。

 高いリスクを抱えているオーナーブリーダーは、リスク分散の手段をいくつかこうじている。その一つが「仔分け」である。
 自分たちの所有する繁殖牝馬をよその牧場へ預託し、その繁殖に関わる一切の経費を負担する代わりに誕生した仔馬を無償で手に入れる。これが仔分けの主なやり方で、自分の牧場で伝染病などが発生した場合などを想定しての対策である。

 オーロラの62は、そんなメジロ牧場の仔分けとして吉田堅牧場で誕生した。
 だがオーロラの62が浦河で過ごした期間はほんの僅かで、生まれた年の秋には「馴致」と呼ばれる若駒の初期調教ため、洞爺にあるメジロの本家へと旅立っていった。
 メジロ牧場へと移動したオーロラの62は、やんちゃぶりから生傷が絶えず、ある時には前歯を誰かに折られて血を流しながら厩舎へと戻ってくる日もあったと言う。
 心も身体もまだまだ子供のまま、彼は生まれた地、浦河を去った。

 オーロラの62が生まれた昭和62年のメジロ牧場同期生たちの中で、もっとも期待されていたのは母シェリルと父リアルシャダイとの間に生まれ、後にメジロルイスという名のつく男馬だった。
 しかしメジロルイスは育成中の事故で腰を痛めてしまい、代わりに頭角を現してきたのは幼駒名『輝光』だった。

 メジロ牧場で生まれた馬たちは毎年一定のテーマに基づいて、漢字2文字の組合せで幼名が付けられる。この年のテーマは『輝』。輝かしい未来を想像してか、あるいはそんな予感がしたのか。
『輝光』は重賞ウィナーの弟という血統的な裏づけ、何よりため息がでるほど美しく雄大な馬体から 、オーロラの62ら同期生たちの中で群を抜いた評価を受けていた。

 メジロ牧場で生まれていないために『輝』が与えられていなかったオーロラの62だったが、『輝光』にも匹敵する輝きを徐々にだが放ち始めていた。
 乗り運動で見せる身体の柔らかさと見事な馬格。
 競争馬として牧場を旅立つころには、後にナリタブライアンの担当厩務員として名を馳せることとなる村田光雄をはじめ、一部の牧場関係者は言葉を揃えた。

「この仔で勝てなければ、ティターンの子供は駄目だ」

 そして3歳(現2歳)の夏、オーロラの62は故郷メジロ牧場を後にした。牧場期待の『輝光』ら同期生たちは、既に初陣の舞台に立っていた。

「今度デュレンの弟が入るから、よろしく頼むぞ」
 調教師、池江泰郎は早川清隆厩務員にそう告げた。
 デュレンとはメジロデュレンのことで、池江調教師が管理し、菊花賞と有馬記念のGIタイトルを制覇、メジロに悲願の牡馬クラシックタイトルをもたらした偉大な名馬である。

 しかしGI馬の妹や弟が額面どおり走らないのが競馬である。普通の馬以上の楽しみなどはあれど、池江調教師と早川厩務員の中では「デュレンの弟か……ちょっと走るかな?」程度の期待というのが正直な感覚だった。
 だが函館競馬場の検疫厩舎でオーロラの62と初めて対面した時に、早川は自信の持つイメージを一変させた。
「これは、どえらい馬を預かってしまった……」

 検疫を終えて厩舎に帰っていく間はうまっけを出し続け、550キロの巨大な馬体を持て余しながら歩くその様は競走馬のそれではなく、おおよそ完成には程遠い姿だったが、見る者に何か独特のインプレッションを与えていたのだろう。
 栗東トレセンの坂路を息乱すことなく唸るようにあがっていき、周りに威圧感を与えながら悠然と歩いていく。秋も深まってきた9月の終わり、函館競馬場から栗東トレーニングセンターへ移動したオーロラの62を見た池江師もいつしか確信していた。

「デュレンの上を行くはずだ」

 徐々に高鳴る胸の鼓動を抑えるかのように調整はじっくりと進められ、迎えた初陣はもうクラシックの蹄音が聞こえてくる2月の阪神。
 550キロを超える馬体は490キロ台にまで絞れ、鮮やかな栗毛の仔馬は、いつの間にか真っ黒く競争馬らしい姿かたちへと変貌を遂げていた。そして同時に新しい名も与えられていた。

 メジロマックイーンと。

序章 第二章「舞台の幕開け」
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