メジロマックイーン物語『栄光と挫折は紙一重』
最終章「栄光と挫折は紙一重」
いるべくはずの主役の姿がないままに、天皇賞秋の公演は終了した。名優はやり残した舞台に立つことさえ許されなかった。
1993年11月21日。
舞台の主役を務めるはずだった男たちは、津々と冷たい雨の降る京都競馬場に招かれていた。ここ数年、名優を陰から演出し続けてきた杉本アナウンサーの声が場内に響き渡る。
「さぁ我らが名優メジロマックイーン、最後の勇姿であります」
マックイーンと武豊は最後の挫折を唐突に与えられた。
順調に終えたはずの天皇賞最終追い切りで、マックイーンは『左前脚繋靭帯炎』を発症したのだ。
第一報を聞きつけ集まった報道陣の前で、武豊は力なく一言漏らした。
「栄光と挫折は紙一重ですから……」
最後の別れを惜しむファンの声援を受けながら、栄光を浴び続けた淀の舞台で武豊は胸を張った。
「……思い出はたくさんあるけど、やはり2度の勝った天皇賞と、そして府中、残念ながら府中で降着になった天皇賞というのは僕は一生、忘れることの出来ないレースだと思っています。こんなに素晴らしい馬に出会えて、僕は本当に幸せでした。本当に長い間応援していただき、ありがとうございました」
栄光と挫折が入り混じったマックイーンの物語は、こうして最後に「挫折」の二文字を刻み込み幕を閉じた。
人生は挫折と失意の方が多いのかもしれない。でもそれら全てが己の物語の大事な1ページなのではないだろうか。
マックイーンも挫折の数だけドラマチックな栄光が待っていた。
そしてあの時、あの天皇賞秋での出来事は、マックイーンの現役物語の厚みを増やすことに大きく貢献した。そして伸びたページの数だけ多くの人と悲しみや喜びを共有できた。そう考えればあの日の大きな挫折も、マックイーンと武豊を彩った素敵なエピソードだったように思えてくる。
残念ながらマックイーンと武豊には秋の天皇賞にリベンジする機会を与えられなかった。だがこの失意が、マックイーンの子供達へと紡がれる新しい物語のプロローグになっていくはずだ。
だからぼくはこう思う。きっと人生において無駄な物なんて何一つもないと。
そしてぼくは信じている。
重なっていく失意の数だけ、栄光に近づいているものだと。
栄光と挫折は紙一重。
いや挫折と失意の先にしか栄光はないのだから……。
メジロマックイーン 1987年4月3日生
通算成績21戦12勝。うち重賞9勝(GⅠ4勝、GⅡ5勝)
通算獲得賞金額1,014,657,700円(当時、史上最高)
1994年、21頭目の顕彰馬選出