メジロマックイーン物語『栄光と挫折は紙一重』
第十一章「最後の舞台」
マックイーンと武豊の秋に刻まれるべく時計は、あの日から止まったままだった。
あれから彼らは何度挫折し、失意を味わい、そしてそれらを乗り越えてきたのだろう。栄光と挫折。この二つの言葉はいつもマックイーンに寄り添うように付きまとってきた。それはまるで切っても切れない家族のように、相反する二つのフレーズはいつも一緒にマックイーンの歴史に刻まれてきた。
止まったままの時計を動かすために。
最後に残された挫折の記憶を塗り替えるため、マックイーンと武豊は数々の思い出が残る京都競馬場の風を受けながら、ゆっくりとスタートを切った。
1993年10月10日。
秋の風薫る緑の芝生に、凛と澄みきった青空。それら全ての情景が、すっかり白くなったマックイーンをいつも以上に輝かせていた。
「やり残した事が、この秋にはありますから」
前半1000Mを58秒2という超ハイペースに難なく付いていくと、早々と4コーナーでレガシーワールド以下を並ぶ間もなく交わしさる。いつもの調子で杉本アナが叫ぶ。
「産経オールカマーでライスシャワーは苦杯を舐めましたが、マックイーンは強いぞ!」
ライスシャワーは天皇賞以来となったオールカマーで、ツインターボの逃げ切りを許しただけではなく、地方から挑戦してきたハシルショグンにすら先着を許す失態を演じていた。全ては天皇賞の激戦の反動せい。またその反動はメジロパーマーの身体をも蝕んでいた。パーマーは宝塚記念での惨敗に続き、このレースでも4角で早々と失速していく。
だがマックイーンは違う。歓喜の大団円へ向け、今、まさに最後の幕を開こうとしていた。
「マックイーン圧勝! マックイーン圧勝! レコード !レコード! 2分22秒7! 2分22秒7! レコードタイムです! オースミロッチの持っていた2分24秒6のレコードを大幅に縮めました!
ファンはおろか競馬関係者もみな我が目を疑った。7歳(現6歳)にして叩き出した2分22秒台の時計。
「衰えるどころか、これからがマックイーンの充実期なのではないか」
その強さは「そんなことはありえない」と言い切れるだけの確証を誰の頭からも奪っていた。
あの秋以来の京都大賞典制覇で、マックイーンは史上初の10億円ホースとなる。だがそれはこれから始まろうとする大舞台の序章に過ぎない。誰もがそう確信していた。
名優は満場の拍手の元、慣れ親しんだ京都競馬場のウィナーズサークルに曳かれた。
GIを4つ、GIIを5つ、全ての大舞台を見守ってくれた関西のファンへ向けた決意の舞台挨拶は、澄み切った青空と真っ白なマックイーンの身体との間に響き渡った。
「メジロマックイーンと一緒に、東京競馬場のウイナーズサークルに立てるように頑張りますので、みなさん応援してください」