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メジロマックイーン関連ニュース

マックイーンを通して見る武豊騎手JRA 4000勝


武豊騎手がJRA 通算4000勝を成し遂げました。
少し遅くなってしまいましたが、今日は彼の栄光を称えるとともに、その偉大な記録をマックイーンの側から見てみます。

マックイーンの側から見る武豊騎手JRA 4000勝

まずマック自身のこと。
マックと武豊騎手がコンビを組み始めたのは菊花賞後、今で言う明け4歳馬になってのことでした。
中京競馬場で行われた阪神大賞典が最初のタッグで、もちろん最初の勝利です。

そこからおよそ3年間に渡ってともに戦ってきましたが、その間の成績が13戦8勝。
GIが3勝に、GIIが5勝と、輝かしい戦績を残してくれました。

もちろん秋の天皇賞での降着事件がなければ、勝利数が1つ増えたことになりますが、逆にあの時の事件がなかった場合は、92年の天皇賞連覇後の骨折で現役を退いてしまった可能性もあり、そうするとGI、GII 合わせて3っつの勝利が飛んでいったかもしれません。
そう考えると人生、いや馬生において、敗戦でさえも違う栄光への架け橋になりえるんだなと実感することができるかと思います。

マックイーンを通して見る武豊騎手JRA 4000勝
メジロマックイーン © mejiro-mcqueen.com Wish on the Turf

さてマックの引退後、日本競馬はサンデーサイレンス時代を迎えることになります。
マックの初年度産駒は、サンデーサイレンスの2世代目と同期でした。

この頃からだんだんと武豊騎手を確保することが難しくなってきます。
彼のプライオリティはクラシックを狙える馬、高い素質を秘めた馬。

それはマックイーンの初年度産駒にもいました。しかも池江厩舎に。
シュペルノーヴァ。
超新星と名付けられたその馬は、まさに新星の如く登場しました。
1998年1月、京都のダート戦で武豊騎手を背にデビュー戦を勝利。

その名前、芦毛の風貌、池江厩舎、武豊騎手。
完璧とさえ思えた馬でしたが……。

シュペルノーヴァ
シュペルノーヴァ © mejiro-mcqueen.com Wish on the Turf

彼の名前はドリームジャーニー、オルフェーヴルらの登場で再び蘇ります。
シュペルノーヴァの全妹、オリエンタルアート。

その後、武豊騎手とのコンビで勝利することは1年以上遠ざかりますが、翌年の小倉でグレースアミーガが500万を勝利。
11月にはマターラミツルで未勝利を脱出。
そして12月。

暮れの中山、冬至S(1600万)で見せた騎乗は、まさに天才そのものでした。
相棒は秋華賞にも駒を進めたメジロサンドラ。
メジロサンドラは「スタミナが豊富も、決め手に欠ける」ということで、前へ行って粘り込むという競馬をずっとし続けていました。
これが彼女にとってベストな作戦であると。
しかし手綱から伝わる天才の感覚はそうではなかったようです。

まさかの後方2番手からレースを進めて、直線鮮やかな差し切り勝ち。
2着にもマックっ仔のメジロアトラスを引き連れ、これ以上ないくらい完璧な結果を演出。
今でもこれ以上のレースはないんじゃないかと思うぐらい、最高の競馬でした。

メジロサンドラ
メジロサンドラ © mejiro-mcqueen.com Wish on the Turf

その後、天才がどんどんと高みに向かって歩んでいく中で、なかなか良い子供を送り出せないマックには試練の時が続きます。

次に武豊騎手と勝利の美酒に酔えたのは、2004年7月のロングアライブ。
メジロサンドラの芸術的勝利から、4年以上の年月が過ぎ去っていました。
ロングアライブは、今や日本を代表とするオーナーブリーダーとなったノースヒルズマネジメントの所有馬で、武豊騎手は翌々年も同馬に跨って勝利。

武豊騎手とマックっ仔で複数の勝利をあげたのはロングアライブのみで、しかもそれがマックっ仔にとって武豊騎手と掴んだ最後の白星でした。

ロングアライブ
ロングアライブ © mejiro-mcqueen.com Wish on the Turf

マックの子供で、武豊騎手は合計8勝をマーク。

産駒数を考えればだいぶ少ない数ですが、サンデーサイレンス全盛の時代で、マイナー厩舎に入ることの多かったマックイーンの子どもたちにとっては、彼が騎乗してくれるチャンスはあまりありませんでした。

また勝つことはできなかったものの、思い出深いのは2010年の阪神大賞典。

そうホクトスルタンが生涯唯一となる武豊騎手と臨んだ一戦です。
あの時、せめて賞金加算ができていれば……。
どこがどう悪いレースでもなかったのですが、その後の除外事件や障害転向、そして…のことを考えると、あそこが分岐点だったと思わずにはいられません。

ホクトスルタン
ホクトスルタン © mejiro-mcqueen.com Wish on the Turf

2003年頃からはマックっ仔たちと並行して、マックの孫たちもターフへ姿を表してきます。
そして2007年。

武豊騎手はドリームジャーニーとのコンビで、神戸新聞杯(GII)を制します。
これが孫での初勝利であり、ファミリーとしても武豊騎手とはじめて手にした重賞タイトルになりました。

ドリームジャーニー
ドリームジャーニー © mejiro-mcqueen.com Wish on the Turf

孫やその先の代は、数としても限りがあるので現時点で4勝。
ドリームジャーニー産駒も数が少ないこともあって3勝にとどまっています。

そして今年2018年が初年度産駒3歳の時を迎えているオルフェーヴル産駒では、現時点で2勝。
その2勝はいずれもグアンによるものですが、グアンと言えば武幸四郎厩舎の初陣にして初勝利をあげた歴史的な馬でもあり、数より重みという意味ではファミリーの中でも断然なのかもしれません。

こうしてみるとマック、マックっ仔、ファミリー、ドリームジャーニー産駒、オルフェーヴル産駒あわせても25勝と、4000勝における数の貢献度はそれほど大きくないかもしれません。
でも我々にとってはやはり武豊騎手というのは特別な存在で、出馬表でコンビを組んでいることを確認しただけで、心が踊るもので、勝てばなおのこと。

あと何回彼とのコンビが見られるのか分かりませんが、メジロマックイーンの名がある血統馬で、GI…できれば海外のビッグレースを、武豊騎手と制覇するというのは一つの夢になります。

マックイーンを通して見る武豊騎手JRA 4000勝

およそ30年にわたって競馬界のトップを走り続けている武豊騎手。
我々はきっと二度と味わえないであろう競馬の歴史の中で生きています。

しかし彼がジョッキーとして存在している競馬の世界も、そんなに長く残されていないかもしれません。
それでも可能な限り長く、ファンの心に残る競馬を届けて欲しい。
それが多くの人の願いでしょう。

Thanks & Congratulations, We love you LEGEND!

マックイーンを通して見る武豊騎手JRA 4000勝

[2018 10/09]

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